「わたしのいないテーブルで」を読んで

「デフ・ヴォイス」シリーズの四作目を読み終えた。

一作目と同様に気持ちは先は先はと読み進んだ。

これまでのシリーズでろう者の環境など僅かなのだろうが知識を知り得たせいか、

前ほどに気持ちがさほど重くならずに済んだ。それでも家族にろう者と健聴者が混在することの難しさは作品の中での表現以外にもあるのことは想像以上のものだろう。

しかしながら、登場する母娘の思いの通じなさは、私の親子関係と重なってしまう。口語で話せる親子でありながら、全く思いは通じないのである。それを解消したく会話をすればするほどに苦しくなった記憶がある。それならとそれ以上溝を掘らない様にと今は当たり障りの無い会話のみに留めているが。

なので、読み進める間、思い起こしたく無い私の過去と重なってしまった。認知症が始まり出した私と母との関係はどちらかの最期までこの関係は続くのだろう。

世の中には、この著書読んで、私と同じ様に感じた方もおられるかもしれないが、多くの方は

ろう者と健聴者の互いの疎通の困難さを重く感じるのだろう。

 

手話の講座にCodaである方が指導者としてこられているがその方のお母様との会話を見ていると互いに言いたいことを言い合い(勿論、手話での会話である)とても仲が良い光景で、

こちらはいつも笑顔になる。私の親子関係とは全く違う様で、なんとも羨ましく感じていた。

それでもきっと互いの何らかの苦悩に対面して来られたのだろう。

 

「デフ・ヴォイス」シリーズは現時点ではこの四作で終わりらしい。

久々の読者を楽しまさせていただいた。次はこれまでの登場人物である何森刑事のスピンオフ小説があるらしいのでそちらを読ませて頂こうと思う。