「逃走の行先」を読み終えて

「デフ・ヴォイス」より読み続け、刑事何森の二冊となる。

 

カテゴリー分けではサスペンス小説となるのであろうか?犯人は誰だ?という流れであるが。

最終的に犯人を断定しながらもその人物を確保するのが正義か否か?

技能実習生の現状、コロナ禍による失業など日々ニュースやワイドショーで流れている話を

より見つめ直して欲しいと訴えかけられた終わりであった。私達一般庶民が日頃聞き流しているだけでは何も変わる事はないのだろうが、心に留める人が増えていけばいつか動かせる人に伝わって欲しいと思う。国が変わらなければいけないのだろう。

 

私が住んでいる田舎町でも変わって欲しい思い、その為にはトップが変わらなければと代表選挙で新しい候補者に投票したが、代表交代には至らなかった。投票率は前回よりも落ちていたとの記憶である。関心を示す人は右下がりである。

数万人の小さな町でさえこうなのだから、国が変わるという事は途方もなく難しい事なのかも知れない。

政治に疎い私は、なぜあんな人が議員なのか?なぜあんな人が大臣なのか?時々思うが、実際国民のそれぞれの一票で選ばれた方々代表の中で行われいる事なので仕方ないのだろう。

せめて国の代表は、アメリカなどの大統領選挙の様に国民の直接選挙であって欲しいと無知な私は思う。

 

学生時代は推理小説をよく読んでいた。その後もテレビの二時間ドラマでサスペンスものが流行っていた。その内容は、あくまでもフィクションであり、あり得ない話であるからに単純に犯人は誰だ?と推理を楽しみ読み進めた記憶がある。

そんな昔を思い返した時思ったのは、昨今の事件は小説以上に怖い事件が多すぎはしないかと。ずいぶん昔は他国の銃撃や窃盗のニュースを聞いて、治安に優れた日本の生活に安堵を抱いていた。だが数年前から、日本の銃での事件は僅かなものの他国と変わらず日々何が起きるか分からないなと思う様になった。

ただ怖い事件が起きたというよりも意味不明な事件が増えているような気がする。その事件を起こすことで金銭的な物を得られるとか、恨みが解消するなど精神的な苦痛が晴らされるなどその犯人にとって事件を起こすべき理由がないのではないか?テレビニュースを聞いているだけの知識では、犯人はその様な事件を起こす様な人ではなかったという言葉をよく聞く。

その様なニュースを聞くたびにとても怖く思う。

 

著者は現実に起こった事件を参考に描かれているので現実味が有るがそれだけに単純に楽しんで読むわけにはいかなかった。面白くないわけでなく、訴えかけられている感が強かった。受け方は人それぞれだろうが。

著者が望むように、私も三作目を期待している。

「デフ・ヴォイス」の五作目もぜひお願いしたい。

 

「孤高の相貌」を読んで

「デフ・ヴォイス」のスピンオフ小説を読んでみた。

 

手話を学んでいる流れで勧めらて読んで「デフ・ヴォイス」はろう文化のみならず多くの知識を得ることができた。それだけでなく、ストーリーも大変楽しめた。

そして、その中で何森刑事たる人物を秘密めいた表現で描かれ、思惑通り導かれてしまった。

 

設定上「デフ・ヴォイス」主人公である荒井より刑事であるその妻みゆきの登場が多いが、それも気持ちよく楽しめた。

読み終えてしっかりとミステリーとして楽しめる事ができた。

だが、それ以上に今回も私にとっての大変な気づきを頂いた。

犯人と認否された者が「供述弱者」という表現。読み進むうちに私自身と重なっていった。

まさしく私も人生の岐路に立たされた時、これによって逃げて来た感がある。トラブルを避けたいが為、自身が悪者とされても、その場面を避けてきた。それで相手が幸せになれるのであれば、みたいな。

それとは違うのかもしれないが、パワハラを受けた時もそうたった。責められ続けているうちに、こんな罵倒を受けるのは私自身が悪いの原因なのか?そう思い込む時があった。私がパワハラのターゲットになる以前にターゲットにされ鬱になり職を辞された方も同じ事を言われてた。その前後パワハラを受けて辞めた人は皆人望の厚い方々だった。なのに。

 

誰でも何らかの部分で登場人物に自分が重なることはあるのかも知れない。

というわけで今回も楽しませていただいた。

 

次は同じくスピンオフ小説刑事何森「逃走の行先」という著書を読もうと思う。

「わたしのいないテーブルで」を読んで

「デフ・ヴォイス」シリーズの四作目を読み終えた。

一作目と同様に気持ちは先は先はと読み進んだ。

これまでのシリーズでろう者の環境など僅かなのだろうが知識を知り得たせいか、

前ほどに気持ちがさほど重くならずに済んだ。それでも家族にろう者と健聴者が混在することの難しさは作品の中での表現以外にもあるのことは想像以上のものだろう。

しかしながら、登場する母娘の思いの通じなさは、私の親子関係と重なってしまう。口語で話せる親子でありながら、全く思いは通じないのである。それを解消したく会話をすればするほどに苦しくなった記憶がある。それならとそれ以上溝を掘らない様にと今は当たり障りの無い会話のみに留めているが。

なので、読み進める間、思い起こしたく無い私の過去と重なってしまった。認知症が始まり出した私と母との関係はどちらかの最期までこの関係は続くのだろう。

世の中には、この著書読んで、私と同じ様に感じた方もおられるかもしれないが、多くの方は

ろう者と健聴者の互いの疎通の困難さを重く感じるのだろう。

 

手話の講座にCodaである方が指導者としてこられているがその方のお母様との会話を見ていると互いに言いたいことを言い合い(勿論、手話での会話である)とても仲が良い光景で、

こちらはいつも笑顔になる。私の親子関係とは全く違う様で、なんとも羨ましく感じていた。

それでもきっと互いの何らかの苦悩に対面して来られたのだろう。

 

「デフ・ヴォイス」シリーズは現時点ではこの四作で終わりらしい。

久々の読者を楽しまさせていただいた。次はこれまでの登場人物である何森刑事のスピンオフ小説があるらしいのでそちらを読ませて頂こうと思う。

 

 

 

「慟哭は聴こえない」を読んで

今回は半日で読み終えた。

これまでと違い、私にとっての難読漢字が無かったせいかな。

 

本シリーズは、4つのショートストーリーを繋ぎ合わせてある流れであった。

前作までの登場人物が思い出される様に各話に年を得て登場してくる。

初回を先週読み始め続けてている私には急に時の経過に戸惑うが、著者のあとがきを読むと

一作目二作目と間があるのでこの様な経過設定になったとのこと。出版と同時に読まれている方々には納得いくことだろう。

 

登場人物の成長が結果としてうかがえるが、できればそれまでの途上も知りたく思う。

 

進学への障壁での苦闘は、未だ悔やまれる私の遥か昔を思い起こさせた。身体的障がいは何もない私でさえ、大変な悔しさを味わった。私の障壁は今の時代ではあり得ないことだろうが。

 

フィクションとして表現されながらの今回も手話というか文化知識を得ることができた。

ずいぶん本を読むことから遠のいていたのでそんな当たり前の事にちょっとした喜びを得てします。久々に読書でありながら良い著者に出会ったという事である。

 

ショートストーリーのせいか、あまり重くのし掛かる内容では無かった様な。なので軽く読み進めたのだろう。

次に読むのは「わたしのいないテーブルで」かな?

「龍の耳を君に」を読んで

先日読んだ「デフ・ヴォイス」のシリーズがあると知り、

続きと思われる「龍の耳を君に」を読んだ。

 

今回も一気読みしてしまった。速読できない私は、ゆったりと一日掛かってしまったが。

結果としてストーリーとして楽しめたし、ろう者に限らず障がい、病気を持つ家族の葛藤など

これまで知り得ない知識を得ることができた。

又巷で流れてる政界の裏事情なども織り込まれノンフィクションとは思えない感覚で現実の

NEWSと重ね合わせて読み進んだ。

 

まず「龍の耳」って何?って思いながら読み始めたのだが、なるほどそうなんだ!と。

もしかしたら漢字に疎い私だから知らない常識なのかもしれないが、

「ろう」という漢字を古代の人は凄いなと思った。

その由来を知らず手話に興味がある方は是非読んで欲しいと思う。それだけでも楽しめる。

 

そして、手話は多くの方々がろう者が使うと思われている思うが、

ろう者に限らず口語に並ぶ一つの言語としてしっかり成り立っているのだと知らされた。

 

まだ手話を学び始めて数ヶ月だが学び始めた事で、手話にも種類があったり、

Codaである方の葛藤など少しは耳にしてたので、読むほどに引き込まれていった。

手話表現は手話を齧り掛けの私には丁度いいのかもしれない。全く知らない方には

?かもしれないが、そこからちょっとだけ調べてもらえれば理解できると思う。

 

さて、次は「慟哭は聴こえない」という本らしい。

とても楽しみであるが情けなく、この『慟哭』(どうこく)という字も読めなかった。

少しずつ、知識を増やしていこう。

 

 

 

 

 

手話サークルへ入会

近隣地区の手話サークルに入会してきた。

 

週に一度、行政区の福祉協議会主催の手話講座に通っているが、

やはり週一での講座で手話を覚えるのは難しい。

なので隣の行政区で行われている手話サークルに参加することにした。

近隣の手話サークルの中ではハードルが低いらしい。

時間帯が午前中なので、やはり年齢層が高い。皆さんの気遣いがありがたい。

のんびり楽しくやるのには良さそうだ。

だが、やはり自らの意思で自分を追い込み習得していかないと身につかないと実感した。

 

今の時代はYouTubeという大変ありがたいアイテムがある。

いつでも知りたい情報を見て聞いて学べる。良い時代だ。

私が幼い頃にこれがあったら自分の人生は絶対違っていただろうなと思う。

欲しい情報があり過ぎて気づくと目移りして別の情報に見入ってしまっている時がある。

移り気な私には厄介でがあるが。

 

学びの為に入った手話サークルなので、ちゃんと習得できるように芯を持っていこう。

「デフ・ヴォイス」を読んで

久しぶりに本を読む。

 

気づくと最近は本を読んでいなかった。本というか、小説を。

最近読む本は、情報誌ばかりで、読むのではなく見ているという事なのだ。

デフ・ヴォイスを読んでいて、

情けない事に、この字は何て読む?あれ、意味は?

お恥ずかしながら、難読漢字に打ち当たり、その都度iphoneのカメラの翻訳機能を使い

読みを調べ意味が不安だとそれも調べ、、、。

その便利機能でさほど手間を掛けずに読み進めることができた。

 

さて、読んでの感想だが、なかなか重く訴えかけられる話ではあったが、一気読みしたくなる

ストーリーだった。

手話を学んでいる私にとって、ろう者をどう描いているのか前情報を知らず読んだので引き込まれていった。

あとがきを読んで、なるほどと納得できた。

ろう者の知り合いが身近にいるでもない私にとっては想像の域を出ないが、ろう者に限らず

生まれ育った環境という事にどう向き合っていくのか?そんな重みも感じさせられた。

 

久々に読んだ小説に良い出会いを感じた。

丸山正樹氏のこのシリーズがあるらしいので引き続き読んでみようと思う。